単語だけの問題ではない
中学、高校と多くの日本人が6年間も学ぶ英語。しかし、なぜ日本の英語教育システムは、これほどまでに大量の英語嫌いと英語下手を生産してしまうのでしょうか。日本の英語教育が抱える問題を探り、現代の英語教育者は、与えられた環境の中でどう改善していくか。感情論に基づかない議論を展開していきたいと考えています。
和訳はそんなにいけないことか
6年も英語を学ぶと言うけれど...
受験英語は不毛か?
関係詞の功罪
穴埋め問題の意義
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● 単語だけの問題ではない
2002/06/06
「単語がわからないから英語ができない」
そう思っている人は多いのではないでしょうか。それは確かに事実だと思います。しかし、「単語さえわかればできるはずだ」と思っている場合は、少し問題があります。なぜなら、「単語を知らない」ということは、英語ができない理由の1つでしかないからです。残念ながら、できない理由はまだ他にもたくさんあります。
例に洩れず、高校生もよく、「単語さえ覚えれば何とかなるんだよね?」「まず単語を覚えなければいけない」と言います。私はこれまでに、英語が苦手な生徒が、
「自分は語彙は比較的豊富だが、文法や構文を知らないから英語ができない。」
あるいは
「自分は単語も文法も構文も水準に達していると思うが、これまでの人生の中で読書をほとんどしていないから、まとまった量の文章を理解するポテンシャルが低い。だから英語ができない。」
といった言葉を発するのを一度も聞いたことがありません。英語が苦手な生徒は、例外なく、自分の学力不足をすべて単語力不足のせいにしようとします。そして、「合格英単語800」みたいなタイトルの本を買い込んで、最初のページから漫然と読んで覚えていこうとします。そして3学期になっても同じことをやっていて、200点満点のセンター試験で80点とか90点とかいった、絶望的な点数を取ってきます。
特に大学入試において、「英語ができる」ということは、「まとまった量の英文が読める」ということとほぼ同義です。しかし私は、文章を読むということが実は非常に高度なスキルであるという認識が、学習・指導者の間で共有されていないような気がしてなりません。その認識無くして外国語の修得はあり得ないのではないかと思います。
英文を読むための必要条件を低次のものから箇条書きにしてみました。
この6つの要素が一つでも欠けていると、英文を理解できません。例を挙げてみたいと思います。みなさんは、次の各文の意味を理解できるでしょうか。
- 26文字のアルファベットを覚える。
- この26文字を組み合わせによって形成される単語の意味を覚える。
- 単語が意味のある文になるための規則、つまり文法を覚える。
- 「ability という単語の後には to 不定詞が来る」といった、個々の単語が持つ性質、つまり語法を覚える。
- 特定の意味を形成単語の組み合わせ、つまり構文を覚える。
- 書き手が文章で表現したい内容を理解できるくらいの知識的バックグラウンドを持つ。
ちなみに答えは、
- This is all I know
- What is important is not his lie itself but the fact of his telling a lie to me.
- The judge ruled his effort out for an offside.
となります。
- 私はこれだけのことしか知らない。
- 重要なのは、彼の嘘そのものではなく、彼が私に嘘をついたという事実である。
- 審判はオフサイドとみなし、彼のゴールを認めなかった。
A. の意味がわからなかった人は、上記3で引っかかっています。つまり、「allという単語の後に目的格の関係代名詞が省略されている」という文法規則に気付かなかった(あるいは知らなかった)ということです。
B. の意味がわからなかった人は、上記5で引っかかっています。つまり、「not A but B」という単語の組み合わせは、「AではなくBである」という意味を表す構文であるということに気付かなかった(あるいは知らなかった)ということです。
C. は、かなり英語に自信のある人でも、いま一つピンと来なかったかもしれません。しかし、サッカーに精通している人ならすぐにわかる表現です。offside というのは、サッカーにおける「オフサイド」という反則のことであり、effort は、「シュート」を表すスラングです。つまり、この文の意味がわからなかった人は、上記6の項目で引っかかったわけです。この文の意味がわかる人は、文を見ただけで、FWの選手がゴール前で肩をすくめて審判に抗議している様子をイメージできるはずです。
英語ができるようになりたいと思っているにもかかわらず思うように上達しない人の多くは、上記2の条件だけに固執し、3〜6の必要条件を認識できていないのではないでしょうか。逆に、3〜6の必要条件をすべて認識できている人は、時間はかかっても、地道に努力すれば、最終的にはかなりの水準に到達できるのではないかと思います。
高校生を見ていると、偏差値の高い高校に通っている生徒ほど、3年になってから、あるいは浪人してから大きく成績が上昇する傾向にあります。私はその上昇の原動力となるのは 6 の条件だと思います。偏差値の高い生徒は、普段勉強していなくても、自分の好きな本を読んだり、新聞を読んだりしていて、幅広い知識を身につけている傾向が強いのです。2〜5の条件は、比較的短期間で解決できますが、6だけは、参考書を1冊読めば解決するという問題ではなく、日頃の生活態度がものを言います。
高校生のみなさん。今日から新聞を読みましょう。
● 和訳はそんなにいけないことか
2002/04/01
「英語を英語のまま理解しなさい」
ここ数年、この言葉が英語教育の金科玉条になっているような気がします。予備校の講師は言うに及ばず、そんなことできるはずのない高校の教師までもがこの言葉を口にします。今は、これを言わなければ英語の教師の立場すら危ういのではないかと思えてきます。
さて、この言葉はいったいどの程度信憑性があるのでしょうか。私はとても疑問に思います。私は英語を読んだり聴いたりするとき、自分が対象となる英語を英語のまま理解しているのか、それとも日本語に変換して理解しているのか、実のところ、いまだによくわかりません。しかし、それでもはっきりと言い切れることがあります。それは、自分が英語を理解するとき、その割合は不明であるものの、間違いなく母国語である日本語が介在しているということです。
日本の学校教育の下で英語を学び始めた人は、まず、英語の単語に匹敵する日本語を覚えます。dogなら「犬」、carなら「車」、beautifulなら「美しい」といった具合です。まさか、carという単語を a kind of vehicle with an engine and four wheels, the body of which is made of steel と覚えた人はいないと思います。
もう少し学習が進み、高校生くらいになると、構文を取り扱うようになります。たとえば、It is 〜 that S V 「SがVするのは〜である」という強調構文や、provided that S V 「SがVするという条件で」などです。
何が言いたいかおわかりでしょうか。そうです。私たちは、英語学習の初期段階から、少なくとも高校を卒業するまで、日本語を介して英語を学んでいるのです。高校や予備校の教師は、「英語を英語のまま理解しなさい」などともっともらしいことを言いつつ、構文や文法を解説するときは100%日本語で説明し、理解させようとしています。そういう環境で英語を学んでいるのに、一方で「英語のまま理解しなさい」などというアドバイスは完全な偽善です。私はこういうことを言う教師の言うことは無視して良いと思います。
ちなみに私は、生徒に向かって英語のまま理解しろと言ったことは一度もありません。それどころか、自分は授業の中で、積極的に和訳させます。自分が英語のまま理解しているかどうかわからないのに、生徒に向かって「英語のまま理解しろ」とは言えません。
本当に英語のまま理解しているのであれば、英文法や構文をすべて英語で説明できるはずですし、意味の分かりにくい英文を即座に英語でリフレーズできるのではないかと思います。しかし、実際には、この国の英語教師にそんなことはできませんし、私もできません。
私は授業の中で、生徒に積極的に和訳させます。少なくとも、現在の学習環境では、それは有効だと思うからです。しかし、和訳させる理由は他にもあります。その理由の一つは、どんな形であれ、目の前の文の意味を理解しているのであれば、表現力の差はあれど、母国語で、自分の言葉でその理解内容を表現できるはずだと思うからです。
私は、これまでの経験から、少なくとも高校生に関しては、「生徒が日本語で説明できない」=「生徒がその文の意味を十分に理解できていない」ということだと確信しています。
私は、英文を和訳することを職業にしているため、自分の考え方が、和訳擁護寄りになるのを十分に認識した上で、敢えて英語学習における和訳の効用を支持します。私は本格的に翻訳に携わるようになった4年前から現在にかけて、英文の読解力が上がっていることを感じます。商品として英語を和訳するためには、原文の意味を何となく理解するのではなく、正確に把握する必要があるため、深く思考します。その繰り返しが読解力の向上を導いたことは容易に理解できます。しかも、英文読解力だけでなく、日本語の表現力や語彙力、文章作成能力、さらには和文の文章の読解力までもが向上するという付加価値まで付いてきました。自分の理解を言葉に置き換える作業は、非常に有効な思考のトレーニングになっていると感じます。
「英語のまま理解しろ」というメッセージは、相手に対して、いかにも自分が英語ができる人間であるという印象を与えます。この言葉は、英語教育者のそんな独りよがりな自尊心によって産み出され、同じく独りよがりな自尊心で武装したこの国の英語教師の間で流通しただけの単なる都合のよい詭弁なのではないでしょうか。
● 6年も英語を学ぶと言うけれど..
「日本人は、中学、高校と6年間も英語を勉強しているのに、英語が下手だ。」とよく言われます。日本人が一般に英語が下手なのは、残念ながら、おそらく事実でしょう。TOEFLの成績は確か、アジア21か国中19位くらいだったと思います。実際に外国へ行ってみると、それは実感としてわかります。マレーシアなど、旧英国植民地であった国の人が英語を上手に話すのはある意味納得がいきますが、そうでない国、たとえば韓国へ行ったときでさえ、日本人との英語力との差を感じます。ソウルでは、若い人はたいがい片言の英語を話すことができます。ドトールコーヒーでコーヒーを注文し、ついでにそのおねえちゃんに道を尋ねたりした場合でも、決して流ちょうとは言えませんが、きちんと内容を伴った英語が帰ってきます。慌てふためく様子もありません。失礼な言い方ですが、日本のドトールコーヒーではちょっと考えられないことです。
「6年も英語を勉強している」のにできない理由は、文法の修得に重点が置かれ過ぎていて、読む量と聞く量が少なすぎることだと私は考えています。さらに付け加えると、文法が一つの独立した分野になってしまっていて、英語を理解することとリンクしていないということも言えると思います。文法と読解の間の相互関連が乏しいので、多くの生徒は、重点が置かれている文法の方も習得できておらず、見事な共倒れの状態を生み出しています。自らが英語教育に携わっていながら、極めて自虐的な言葉になってしまいますが、これほどまでに非効率的な学習プログラムは世界に類を見ないのではないかと思ってしまうほど、日本の英語教育プログラムは悲惨です。
たくさん読むことが、語学力の向上につながる。これは、外国語を習得した人なら誰でも知っていることです。よく単語集を眺めている生徒を見かけますが、私は単語集は不要だと考えています。単語集で単語を覚えることに一生懸命な生徒は、残念ながら英語が読めるようにはなりません。単語を覚えることは、国語で言えば漢字を覚えることに相当するのではないでしょうか。いくら漢字を呪文のように覚えても、多くの文に触れて、その漢字が使われる文脈をインプットし、その後アウトプットしなければ、その漢字は自分のものにはなりません。読書量の少ない人が話をするときに、語彙に乏しく、擬声語や擬態語が多用されるのはそのためです。ですから、単語帳をながめている暇があったら、辞書を引きながら、1 行でも多く英「文」を読むべきです。
日本の学生は確かに中学、高校と6年間、英語の授業を受けていますが、その中身には大いに問題があります。この6年の間にどれだけ英文を読んでいるか考えたことはあるでしょうか。その点を考えれば、なぜこんなに一般の日本人の英語力が低いのかがわかると思います。
高校ではリーダーの時間が一応英文読解の授業ということになっています。そこでは、旺文社などが出版している教科書が使われます。この教科書は出版社に関係なく、だいたい12くらいのストーリーで構成されており、一つのストーリーは700ワードくらいです。700×12 = 8400 ワード。これを一年かけて読みます。3年間で25000ワード。これが、受験勉強を除く英文読解量です。
ではこの25000ワードという数字をみなさんはイメージできるでしょうか。結論から言いますと、この数字は絶望的な少なさです。25000ワードの英文を日本語に翻訳すると、恐らく60000文字くらいになると思います。60000文字というのは、大雑把に言えば、文庫本一冊の半分くらいです。6年間も英語を勉強しているのになぜ、英語ができないのか、もうおわかりでしょう。日本で学生生活送った人は、6年間英語を学んだことになっていますが、その間に文庫本一冊分すら読んでいないということになるのです。ちなみに、今日、私のメールサーバに送られてきた翻訳依頼原稿が17000ワードで、これを9日後に納めるように指示が来ています。高校生の2年分の勉強を9日間ですることになるわけです。別に自慢したいわけではありません。日本の英語の授業では、多くのことをやっているように見えても、実はこれだけしかやっていないと言いたいのです。
文庫本を半分読んだくらいで読解力と呼べるようなものが身に付くか。そんなことは問いかけるまでもありません。確かな英語力を養うには、学校教育のプログラムでは、あまりにも少なすぎるのです。高校生は英語だけでなく、数学や社会など、幅広く勉強しなければならないので、増やすにも限度がありますが、あまりにも無駄が多い文法学習プログラムを最適化し、読解の授業の運営を見直すことによって、読解量を現在の 5 倍程度にすることは可能だと思いますし、実際にお隣り韓国はそういうことをやっていると思います。文法の最適化とは、英文を読むときによく使われる文法事項だけを教えるということを意味し、具体的に言えば、完了動名詞や、鯨の構文など、使用頻度の著しく低い文法や構文を削除し、動詞や名詞のコロケーション、あるいは、文どうし、段落どうしの論理的結合 (cohesion といいます) など、現在広く行われている文法学習課程で無視されている内容を盛り込むということです。
そのためには、高校教員や塾の教師に知識と危機感がなければいけませんが、周りを見る限り、高校教員の95%は知識も自覚もなさそうですし、塾は学校教育に寄生しているだけで、似たり寄ったりなので、文部省が大きく制度の変更をしない限り、変革は起こりそうにありません。日本市場において英語ができることにより得られる経済的優位性、そして英語ができることにより経験できる多くの楽しみを考えれば、英語というのは、自己のリソースを投資する対象としては、極めて有効だと思いますが、バグだらけの制度、無能、無策の英語教員の蔓延、生活上の英語の不要性といった要素を考えると、現時点では、日本で英語を身につけるには、本人の意識と強いモチベーションがどうしても必要だと言わざるを得ないと思います。
● 受験英語は不毛か
「受験英語=役に立たない」
受験英語に対するこのような認識は、いつ頃生まれ、定着したのでしょうか?少なくとも自分が高校の頃にはすでにこの認識は定着していました。一般の人も、マスコミも識者もみんな、受験英語=悪という認識で一致しているように思います。一部の大学では、ついに受験必須科目から英語を外し、選択科目にしました。そのような大学の一つに多摩大学があります。英語を選択科目にした理由として、学長であるグレゴリー・クラーク氏は、「今の日本の英語教育ならやらない方がましだ」と流暢な日本語で述べています。しかし、クラーク氏が言う「受験英語はダメだ」という意見と、一般の人の「受験英語はダメだ」という意見は少し違うような気がします。
私自身は、受験英語自体は不毛ではないと考えています。教えている内容はほぼ全て正しく、実用的な部分もかなり多いと思います。高校で学習する英文法をマスターすれば、あとは、ひたすら英文を読みまくるだけで、確かな英語力を養成することができるはずです。「受験英語は非実用的」という批判は、かなり支配的な批判です。多くの人は、学校で学ぶ構文や熟語などは、ネイティブの人は使用しないと思っているのではないでしょうか。しかし、それは違います。例を挙げて反論したいと思います。
1. It is no use crying over spilt milk. (こぼれたミルクについて嘆いても仕方がない=覆水盆に返らず。)
2. I might as well throw away money as lend it to him. (彼にお金を貸すくらいなら捨てた方がましだ。)
1 の文は、「動名詞」を、2 の文は、「助動詞」を学習したときに必ず出てくる表現です。テキストには、It is no use doing ~ 「〜しても無駄である」、might as well do ~ 「〜した方がましだ」などといった具合に書かれています。「本当にこんな表現ネイティブは使うのか?」と疑問を覚えながら暗唱した人も多いと思います。しかし、次の英文を見て下さい。
Did the best I could to make you mine
If you ever felt anything for me,
Well, you never gave a sign
Thought time would make you change
Make you want me
But baby I never had a chance
Now I know that there's just some things
Just not mean to be
No use making you care about me
No way that I'm gonna win
Oh darlin' I might as well be chasin' the wind
Oh, I'm just chasing the wind君を手に入れるため
ぼくはできる限りのことをした
君は何かを感じてくれたのだろうか?
でも君は何の素振りも見せなかった
時が君を変えてくれると
時が経てば自分を求めてくれると思っていた
でもそれは思い過ごしだった
それはどうしようもないこと
きっと、そういう運命だったのだろう
君に自分のことを想ってもらおうとしても無駄なこと
自分に勝ち目などないから
それを求めるのは
風を追いかけるようなものDrawn from "Chasing The Wind" of the "21" album, CHICAGO, 1990 抄訳 中村泰洋
これは Chicago の感動的名曲、 CHASIN' THE WIND ("Twenty One" アルバムに収録)という曲の歌詞です。これを見ると、no use doing ~ と might as well do ~ という表現が確かに使われています。これらの表現は、アメリカのロックグループが歌の中で使うくらい日常的かつ自然な表現なのです。私はこの一節を見たとき、教科書で身につけた単なる乾いた知識でしかなかった表現が、自分の中で突如として意味のある生き生きした表現へと変わったような気がして、目から鱗が落ちました。
私はかなり早い時期から洋楽の洗礼を受けていましたので、英語を学ぶ過程で、テキストなどで見かけた表現をこのように好きな曲の中に見つけたときに喜びを覚え、それが更なる学習のモチベーションになったと思います。そしてこの自分の経験の中に英語学習の大きなヒントを見いだしています。英語を学習する方法として、最も効果的なのは、「自分の興味のある題材」で学ぶということなのではないかということです。スポーツが好きなら英字新聞のスポーツ欄から、美術が好きなら画集の説明から、ファッションに興味があればファッション雑誌から学べばよいのではないでしょうか。確かにスポーツ記事にはスポーツ独特の表現が数多く使われており、それ自体は受験などには役に立たないので、一見無駄が多いようにも思えますが、スポーツ記事にも汎用性の高い一般的表現は数多く使用されているはずですし、何よりも、つまらない教科書を義務的に暗記することに比べればその効果は何倍にもなるでしょう。「英語を」学ぶのではなく、「英語を通じて」何かを知る。まさにこれこそ英語学習の決定打ではないかと思います。
話がそれてしまいましたが、上の例に挙げたように、受験英語がカバーする内容自体はかなり実用に耐えうると言い切っていいと思います。私は仕事上、英文を書いたり、英文を和文に翻訳したりしますが、その時に使用する構文や文法はほぼ全て高校卒業までに学習した内容です。そのような点から見ても、受験英語は決して不毛ではないと言えると思います。
では、受験英語はOKという結論かというと決してそうではありません。先ほど、クラーク氏が言う「受験英語はダメだ」という意見と、一般の人の「受験英語はダメだ」という意見は少し違うような気がすると書きました。私は、クラーク氏は、私がこれまでに述べてきた受験英語について肯定できる部分について同じように考えていると思います。しかし、それでも「受験英語はダメだ」と述べる理由は、恐らく、受験英語には無駄な部分もかなり多く、その無駄な部分が、英語学習の能率を著しく落としているということだと思います。例えば、5文型。何で中学を卒業したばかりの時期にあんなものを教えるのでしょう。あの5文型により、多くの生徒が混乱に陥ります。5文型は、もう少し、多くの英語に触れて知識が増えた段階でやれば効果的かも知れませんが、高1の4月に学習するのはバカげています。それからもう一つ、指摘したいのは、文法学習において、文法用語を使いすぎるということです。「関係代名詞は、接続詞と代名詞の働きをする」などという説明は、多くの高校生にとって何の意味も持たないですし、付帯状況のwithだとか言われても、「付帯状況」などという言葉は普段まず使わない言葉なので、余計にわかりにくいのです。
一方、一般の人(多くの場合、英語が苦手な人)が言う「受験英語はダメだ」という意見は、上記のような無駄な部分に邪魔されて結局、有益な知識を身につけることができず、「大切なことで知らないことが多い」「役立たずなことを覚えている」、あるいは、「大切なことも役立たずなこともどちらも覚えていない」という結果になってしまったために出てくる意見なのではないかと思います。高校時代に英語が得意だった人は、無駄な知識もたくさん身につけましたが、同時に必要且つ有益なことも覚えたため、それが基盤となって高度な英語力の習得につながっており、そのために必ずしも受験英語に否定的でないという傾向があるように思います。
無駄な内容をそぎ落として、必要事項だけでカリキュラムを再構築すること。これこそが、現在の英語教育者に求められる役割なのではないでしょうか?
● 関係詞の功罪
現在高校で教えている英文法の中で最も笑ってしまうのが恐らく関係詞でしょう。
関係詞というのは、先行詞となる名詞を節の形で修飾する合図となるwhoやwhichのことです。関係詞には色々な種類と使われ方がありますが、よく使用されるパターンはせいぜい次の5つしかありません。
1. 主格となる関係代名詞 who
There are certainly many people who sincerely believe that there are only universal values.
(唯一無二の世界的な価値観があると本気で信じている人は、確かに数多く存在する。)
2. 主格となる関係代名詞 which
In a society such as the United States or Canada, which has many religious, and cultural differences, people highly value individualism.
(アメリカやカナダなど、多くの宗教的、文化的相違がある社会では、人は個人主義を非常に大切にする。)
3. 主に主格となる関係代名詞 that
The Japanese and the Koreans are alike in having a type of language that is very different from European languages.
(日本人と朝鮮人は、ヨーロッパ言語とは大きく異なる言語を持っているという点でよく似ている。)
4. 場所を先行詞とする関係副詞 where
My wife drives me to the subway station, where she leaves me before going on to work nearby.
(私の妻は、私を地下鉄の駅まで車で送り、そこで私を降ろしてそのまま近くにある職場へ向かう。)
5. 時を先行詞とする関係副詞 when
The next great wave of immigration began in 1841, when Ireland suffered a great potato famine, which caused untold hardship and even starvation.
(次の大きな移民の波は1841年に始まった。その年、アイルランドでは深刻なジャガイモの不作があり、それは、筆舌に尽くし難いほどの困難をもたらし、飢餓さえ発生した。)
4.と5.は、関係詞の前にコンマが置かれることが大半です。1.と2.については、コンマがある場合とない場合があり、意味の捉え方が少し違う場合がありますが、それを入れても合計で7つ。これだけで、実際に使用される関係詞の9割はカバーするはずです。高校生ならこれだけ教えれば充分でしょう。しかし、高校ではなぜかこんなことまで教えています。
1. 関係代名詞 whose / whom
この2つの関係代名詞はほとんど使われません。試しに、1998年の大学入試問題正解CD-ROM版に収められている長文問題(総語数約20万語)を検索したところ、関係詞のwhoseは14回、whomは16回しか出てきませんでした。平均的な高校生が受験勉強をする上で読む英文の量などせいぜい3万語程度ですので、ほとんど教える意味がないと言えるでしょう。
2. 先行詞が人と動物の時、あるいは先行詞が who の時に使う関係詞 that
ex.) John saw a boy and a dog that were swimming across the river.
バカじゃないでしょうか?こんなことを教えている教師が信じられません。例文にも無理があります。
3. 関係代名詞の制限用法と非制限用法の意味の違い
次の二つの文の意味の違いということです。
I have two sons who work for a bank.
(私には銀行に勤める2人の息子がいる。→息子は2人以上いる可能性がある)
I have two sons, who work for a bank.
(私には2人の息子がおり、銀行に勤めている。→息子は2人)
こんな問題を出題する大学は、本当にあるのでしょうか?しゃべるときはどうやって区別すればよいのでしょう?下の文は途中で「コンマ」とでも発音しろと言うのでしょうか?
4. 関係代名詞 but
There is no rule but has some exceptions. (例外のないルールはない。)
この文は、日本の英文法の教科書以外で見たことがありません。
このようなことをいつまでも教えている理由はいくつか考えられますが、一番の理由は高校教師の学力不足と無知でしょう。TOEICのデータによりますと、「教職に就いている人(大部分は英語教師)」の平均点は、714点ということです。914点ではありません。ご存知の通り、TOEICの満点は990点です。中高の平均的な英語教師は、あんな簡単なテストでたったの714点しか取れないのです。これでは、学校になど期待しても無駄なのかもしれません。
● 穴埋め問題の意義 (1/24)
穴埋め問題は、大学入試ではポピュラーな出題形式です。一口に穴埋め問題といっても、そこで問われる内容により、大きく4つに分類することができます。
1. 文法知識を問うもの
You had better have the doctor ( ) your son.
a) examine b) to examine c) examined d) examining. (センター試験)
2. 熟語・慣用表現知識を問うもの
Martha came right on time; she showed ( ) at 4 o'clock.
(A) up (B) on (C) by (D) in (南山大)
3. 語彙力を問うもの
To get to the airport, take a bus downtown and then ( ) to one going to the terminal.
(A) remove (B) substitute (C) exchange (D) transfer (南山大)
4. 意味的に文脈に合うフレーズや文を選ぶもの(読解力を問うもの)
Over a hundred years ago, many people left their homes and traveled west across the United States. Some families went looking for more land to farm. Others went all the way to California to look for gold. They all went in search of ( ).
1. California 2. bigger farms 3. a better life 4. valuable metals (京都産業大)
穴埋め問題は、長文問題の中に組み込まれる場合もあります。これまで長い間、穴埋め問題といえば1のような問題と相場が決まっており、桐原書店の即戦ゼミなど、それに対応する問題集もたくさん出版されてきましたが、最近では、3や4のような問題が増えてきています。ちなみに今年度のセンター試験では、1に属する問題はわずか3問にとどまり、残りの大半が3,4の形式でした。センター試験 [2] 後半の会話文の問題も4の範疇に入ると考えてよいでしょう。
ただ、全体的な傾向として、この穴埋め問題は減少してきているように思われます。そして私自身、この傾向には賛成です。その理由は単純明快「実用的でないから」です。考えてみて下さい。例えば、出張、あるいは留学など目的で英語圏の国へ行った場合に、このような文に直面するでしょうか?大学の教科書がところどころ穴埋めになっていたり、役所へ提出する書類の文中に空白があって、パズルのようになっているなどということはあり得ません。このような文に遭遇するのは、せいぜい新聞や雑誌の最後の方のページに掲載されているクロスワードパズルのページくらいでしょう。
この問題のさらにひどい応用例は、長文に組み込まれた場合に見られます。いわゆる総合問題と呼ばれるもので、虫食いだらけの長文を読まされた後、最後に「本文の内容と一致するものを選びなさい。」ときます。「ちょっと待ってよ。そりゃないだろう。」と僕などは思うのですが、そのような批判をあまり聞いたことがありません。
これまで主流だった1のような問題は今後も減少していくことでしょう。個人的には、穴埋め問題は3と4の形で残すしかないと思います。文法知識を問いたいのであれば、語句整序や英文和訳の形式で代用できますし、熟語知識を問うにしても同様です。3と4も他の形式で代用はできますが、この形式でも読解力が求められる上、どうしようもなく下らない文法的知識が問われることはないので、優れていると言えるでしょう。しかし、極論を言えば、穴埋め問題は不要でしょう。インターネット時代に求められる英語力は何と言っても「正しい英語で書かれた分量の多い英文の内容を短い時間で把握する能力」であり、「英文か正しいかどうかを判別する能力」や「与えられた文脈の中で使用するべき文法事項を識別する能力」でないのは明らかだからです。1のような問題はハッキリ言って「時代遅れ」でしょう。実際、国立大学の問題には、穴埋め問題が少ないですし、私立大学でも穴埋め問題を排除した大学・学部があります。(早大・人間関係学部、多摩大学など。多摩大学は実に良い問題です。)多くの高校の英語の授業では未だに一生懸命1のような問題を解答する能力の養成に力を入れているようですが、その無用性に未だに気つかない教師は、すぐに辞職すべきでしょう。
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